はじめに
明けましておめでとうございます。
本日は、久しぶりに社会学者の大作を読みましたので、シェアさせていただきたく思います。
英語教師として教壇に立っていると、何度となく口にする言葉があります。
「もっと論理的に書きなさい」「結論が見えません」。
しかし、渡邊雅子先生の『「論理的思考」の文化的基盤』を読み終えたとき、私は強く考えさせられました。
私たちが教えてきた「論理」とは、いったい何だったのか、ということです。
論理とは「正しさ」ではなく「伝わりやすさ」です。
本書を貫く最も重要なメッセージは、極めてシンプルです。
論理とは、普遍的で絶対的な思考法ではありません。
相手にわかりやすく伝えるための筋道にすぎないのです。
そして、その「わかりやすさ」は文化ごとに異なります。
英語教育の現場にいると、
「英語ができないから伝わらない」と考えがちですが、
実際には問題の本質はそこではない場合が少なくありません。
同じ内容、同じ英語力であっても、
話の組み立て方が文化的にずれているだけで、
『論理的でない』と判断されてしまうことが起こります。
教育は「論理」を無意識に刷り込む装置です。
渡邊先生は、論理の違いがどこから生まれるのかを、教育という視点から丁寧に説明されています。
私たちは幼い頃から、
「こういう話し方はわかりやすい」
「そういう言い方はダメだ」と、
繰り返し教育されてきました。
その結果、
その社会で自然だと感じられる論理の型が、無意識のうちに身についていきます。
そして大人になった私たちは、
今度は教師として、その型を子どもたちに伝えていきます。
論理とは、教育を通じて拡大再生産される文化なのだと、本書は教えてくれます。
なぜ渡邊先生は「論理」を研究されたのか?
この本が強い説得力を持つ理由の一つに、渡邊先生ご自身の原体験があります。
若い頃、アメリカ留学中に提出した論文が、
指導教官から「これは論文ではない」と突き返されたそうです。
内容に問題があったわけでも、英語力が不足していたわけでもありません。
アメリカ型の論文構成になっていなかった、それだけの理由でした。
そこで渡邊先生は、
アメリカ型の文章構成を徹底的に学び、その型どおりに論文を書き直されました。
すると評価は一変し、
「とてもよくわかる、素晴らしい論文だ」と高く評価されたそうです。
ここは、英語教師として非常に重要なポイントだと感じます。
- 内容は同じ
- 英語力も同じ
- それでも評価は正反対になる
つまり評価されていたのは、
何を書いたかではなく、どの型で書いたかだったのです。
【四つの文化的論理――英語教育と深く結びつく分類】
① アメリカ型論理:私たちが「論理的」と教えてきた型
多くの英語教師が「論理的な文章」として教えてきたのが、このアメリカ型論理だと思います。
- Intro:最初に自分の主張を述べる
- Body:主張を支える合理的な理由を複数示す
- Conclusion:再度、自分の主張を確認する
異説や反対意見への配慮は、基本的に求められません。
回り道は非効率であり、時間の無駄だと考えられます。
英作文指導やエッセイ指導で、「まず結論を書きなさい」と指導してきた私たちは、まさにこの論理を前提にしてきたと言えるでしょう。
② イラン型論理:個人の意見を前に出さない論理
イラン型論理では、真理はすでに神から与えられているものだと考えられています。
重要なのは、三段論法(大前提→小前提→結論)を一切崩さず、正確に踏襲しているかどうかです。
これは数学の証明と非常によく似ています。
「私はこう思う」という個人的な意見は、論理の中心には置かれません。
英語教育の文脈で考えると、「自分の意見を書きなさい」という課題そのものが、文化的に異質である学習者もいるという示唆を与えてくれます。
③ フランス型論理:ディスカッション教育と親和性の高い論理
フランス型論理は、
自説と他説を同等に扱い、両者を掛け合わせることで新しい視点を生み出します。
ディスカッションやディベートで、「双方の意見を踏まえて考えなさい」と指導する場面は、この論理に近いものがあります。
ただし、この論理でアメリカ型評価基準の論文を書くと、
「結論が見えない」「回りくどい」と評価されないことがあります。
これは論理の優劣ではなく、文化的なミスマッチです。
④ 日本型論理:英語教育の中で軽視されがちな論理
日本型論理は、結論よりも共感や合意形成を重視します。
教育の中で私たちが学んできたのは、
相手の立場に立って考えること、
場の空気を読むこと、
全体が納得する落としどころを探る力です。
しかし英語教育の場では、
こうした特徴が「曖昧」「論理的でない」と評価されがちでした。
【教育者として、この本から何を学ぶべきか】
本書は、
「アメリカ型論理が最も正しい」と主張しているわけではありません。
また、「日本型論理こそが優れている」と言っているわけでもありません。
渡邊先生が提案しているのは、
論理を切り替える力を育てる教育です。
- 相手は誰か
- どの評価基準で見られるのか
- この場で求められている「わかりやすさ」は何か
それを見極めたうえで、
論理の型を使い分ける力が必要だと述べられています。
この本は、「自分が教えてきた論理もまた、文化に規定された一つの型にすぎない」という事実に気づかせてくれる一冊です。
そしてその気づきは、
英語教育を一段階、成熟させてくれます。
英語教師として、
「論理的に書きなさい」と一言で済ませるのではなく、
「今、どの論理の型が求められているのか」を
言語化して伝えることが、今後ますます重要になると感じます。