1. マルサスの人口論
トーマス・ロバート・マルサスの著書『人口の原理』は、1798年に人口増加がもたらす危機について警鐘を鳴らし、後の経済学に多大な影響を与えた。彼は、人口が幾何級数的に増える一方で、食糧は算術級数的にしか増加せず、この不均衡が貧困や飢餓の要因になると指摘した。
また、人口は予防的に抑制されず、結果的に飢餓や病気といった「現実的抑制」により自然淘汰されると予見した。特に啓蒙思想に基づき人類の進歩や完全性を説いたゴドウィンやコンドルセの楽観主義に反論し、人間の「繁殖力」こそが貧困の要因であり、人口増加に歯止めをかけるべきだと主張した。
さらにマルサスは、貧困層の救済政策に対しても批判的で、救貧法が人口増加を助長し、結果的に貧困を拡大すると見なした。彼の考えは富裕層に受け入れられ、マルサスの議論は「貧者の不幸は耐えるべきもの」という見方を正当化する材料とされた。しかし、この立場は貧困層に冷淡であると批判を受け、1834年の救貧法改正の際にも賛否が分かれた。
また、彼は「経済学原理」で、富裕層が余剰生産物の消費により経済循環を支える必要があると説いた。この考えは当時の経済学者リカードから批判されたが、20世紀にケインズが再評価し、マルサスの需要不足に関する議論は現代に通じるものとされた。マルサスの予言通りに飢餓が進行していない一方で、世界の多くが貧困に苦しむ現状は、人口論がなおも社会問題として有効であることを示している。
2. 進化論
ダーウィンの進化論と自然選択
ダーウィン進化論は、生物種が「自然選択」によって生き延び、進化する過程を示している。個々の生物は生存競争の中で微細な違いを持ち、それが環境への適応に影響する。この自然選択が繰り返されることで、差異が累積し、新しい種が誕生する。
ダーウィンはビーグル号での探検を通じて、全ての生物種には共通の類似性がある一方、環境の変化によって同種でも変化が起こることを発見した。この知見から、すべての生物は共通の祖先から進化したとの確信を持った。この進化と自然選択の観点から生物の多様性を理解する考え方は、後に「ダーウィン進化論」として体系化され、さらに人間社会にも適用されるようになった。この理論は「ダーウィニズム」として知られるようになり、生物学だけでなく、社会科学にも影響を与えた。
ダーウィン進化論
ダーウィンは1831年、ビーグル号での探査を通じて、生物が環境に適応して進化していると確信し、進化の仕組みを「自然選択」による適者生存と考えた。彼は、生存に有利な特徴を持つ個体が子孫を多く残すことで、世代を重ねるうちに新たな種が生まれると結論づけ、1859年に『種の起源』を発表。この進化論は西欧社会に大きな衝撃を与え、特にキリスト教文化圏では神の創造を否定する異端とみなされたが、生物学に革新をもたらした。しかしダーウィンの進化論には遺伝学の知見が含まれておらず、20世紀には遺伝情報の伝達を踏まえた「進化の総合説」が構築された。また、今日でもアメリカの一部では進化論に対する抵抗が強く、創造説が広く信じられているが、ダーウィンが生物進化の理解を進展させた功績は揺るがない。
ダーウィン進化論の意義
チャールズ・ダーウィンは1859年に『種の起源』を出版し、進化論を提唱した。彼は、同じ種内に個体差が存在し、生存に有利な個体が自然淘汰を経て子孫を残すと考えた。例えば、長い首のキリンは高い枝の葉を食べることで生存率が高まり、その子孫も長い首を持つようになる。このように、進化は少しずつ起こるとダーウィンは主張した。しかし、カンブリア爆発の急激な生物の多様化はダーウィンを困惑させ、「解けない謎」として残った。
もう一つの進化論
ダーウィンはガラパゴス諸島での発見やビーグル号の航海を通じて、生物の進化についての確信を深めた。さらに、イギリスの経済学者マルサスの『人口論』を読んで、人間以外の生物にも同じ原理が適用されると考えるようになった。マルサスは、人口が増加する一方で食糧生産が追いつかないため、貧困や争いが生じる可能性を指摘した。
ある日、ダーウィンは博物学者ウォレスからの手紙を受け取り、進化についての見解が自分と一致していることに驚いた。ウォレスも独自の調査を通じて、共通の祖先から変異が生じるという結論に達していた。ダーウィンはこの論文を独占せず、共同で発表することを決意し、二人の研究をまとめた論文を発表したが、あまり注目されなかった。そこでダーウィンは『種の起源』を書き上げ、これが大反響を呼びベストセラーとなった。この結果、進化論はダーウィンに帰され、ウォレスの存在は次第に忘れられていった。
3. 脳と意識の理論
人間や動物の脳は、神経細胞(ニューロン)から構成され、ニューロンは他のニューロンとシナプスを介して信号をやり取りする。脳内では、セロトニンやドーパミンといった神経伝達物質が化学信号として利用され、ニューロンを興奮させたり落ち着かせたりする役割を担う。また、脳内では電気信号も使用され、ミネラルが電気を帯びて流れることで伝達が行われる。脳は複数の部位に分かれ、記憶や言語、思考、創造性など各機能が特定の部位に対応するが、この役割分担は固定されておらず、別の部位が代わりを担うこともある。こうした柔軟な特性は「可塑性」と呼ばれる。科学者フランシス・クリックは脳を「単純な仕掛けの複雑な組み合わせ」と表現しており、その全体的なふるまいには未解明の部分が多い。
4. 「獲得形質の遺伝」と「用不用説」
生物はそれぞれの環境に適応した形状を持っており、かつてその特徴は神による創造と考えられていた。しかし、1800年にラマルクは「生物は必要に応じて進化し、不要なものは退化する」とする「用不用説」を提唱した。ラマルクは、キリンが高い木の葉を食べるために首を伸ばし続けた結果、首が長くなったと説明し、そのように獲得された形質は子孫に引き継がれると考えた。しかしこの説は、キュヴィエにより否定され、当時の生物学界では受け入れられなかった。ラマルクが亡くなった後、ダーウィンが「自然選択説」によって進化論を広めると、ラマルクの説は顧みられなくなり、20世紀には遺伝子(DNA)の発見により完全否定された。しかし近年、獲得形質の一部が子孫に遺伝する可能性が指摘され、ラマルクの説が再評価されつつある。
5.「利己的遺伝子」の理論
現代の進化生物学者リチャード・ドーキンズは、「遺伝子は自身の存続のために生物を利用する」と主張し、人間も遺伝子の乗り物に過ぎないと考える。ドーキンズは、ダーウィンの自然選択説を現代に適用し、生物の進化を促すのは「遺伝子の選択」によるものであり、遺伝子は自らの利益に従って行動するため「利己的」だと述べた。この「利己的遺伝子」説によれば、遺伝子は子孫に伝わる確率を高める方向でふるまい、その行動の結果、特定の遺伝子が集団内に広がることになる。ドーキンズによれば、生物は複製子であるDNAを守る「生存機械」に過ぎず、その表面的な差異や個体の特徴は重要ではないとし、すべての生物は遺伝子の存続を支えるために存在すると説いた。
6. メンデルの「遺伝の法則」
親から子への生物の特徴の伝達は遺伝学の研究対象であり、その礎を築いたのがオーストリアの修道士グレゴール・ヨハン・メンデルである。メンデルはエンドウ豆の栽培を通じて、遺伝形質には顕れやすい「優性」と顕れにくい「劣性」があり、異なる形質は混ざり合わないことを発見した。また、優性と劣性の形質が交配の際に3対1の割合で現れることを見出した。また、遺伝形質は独立した情報単位であり、子に分離して伝えられる「分離の法則」も示した。さらに、異なる形質は相互に影響せずに遺伝する「独立の法則」も明らかにし、これらの発見は「メンデルの法則」として知られるようになる。しかし当時、これらの研究は科学界で注目されず、メンデルの死後1900年に再発見されると広く認識され、20世紀に遺伝子研究とDNAの構造解明が進展したことで、遺伝学は生物学の基盤として確立した。
7. 共生進化論
アメリカの微生物学者リン・マーギュリスは、ダーウィンの進化論が説く小さな変化の積み重ねによる進化に異議を唱え、進化は時に一気に起こると提唱した。彼女は、細菌などの原核生物が共生し合体することで真核生物が生まれたとする「細胞共生説」を発表。原核生物は地球上に20億年以上前から存在し、エネルギー生産や光合成などの機能を持っていたが、それらが宿主細胞に入り込み共生することで真核細胞が誕生し、葉緑体やミトコンドリアといった細胞小器官が形成されたとする。マーギュリスの共生進化論は当初は注目されなかったが、彼女は進化の重要な出来事はすべて共生によるものと断言し続けた。多くの生物学者は、この共生進化が小さな生物にのみ見られると考えたが、クラゲのカツオノエボシや豆類と窒素固定菌の共生関係のように、生物が協力して新たな特性を獲得する例が存在する。また、近年の研究では、ある昆虫が共生した細菌の遺伝子を自分の遺伝子の一部に取り込む事例や、哺乳類にもウイルス遺伝子が組み込まれていることが確認されている。
8. ウィルス進化論
ウイルスはもともとそれに感染していた野生動物にとっては無害でも、他の動物には致命的な影響を与えることがある。例えば、HIVやエボラウイルスは野生動物由来のものであり、新型コロナウイルスもコウモリからの感染が考えられる。しかし、ウイルスの凶悪性は永遠ではなく、宿主を次々に殺すと感染が難しくなるため、穏やかなウイルスが優位になる傾向がある。例えば、エボラウイルスの致死率は50-90%から30-60%に減少した。スペイン風邪も多くの死者を出したが、免疫を獲得したことで以降の感染者は軽症化した。
ウイルスは自分で増殖できないため生物とは言えないが、DNAやRNAを持ち、他の生物の細胞に侵入して増殖する。特にレトロウイルスは宿主のDNAに組み込まれることがあり、これにより宿主の遺伝子に影響を与えることがある。実際、人間のゲノムの約10%はウイルス由来のDNAで、進化はウイルスから新しい遺伝子を導入されることで促進される可能性がある。ウイルスが生物の進化に与える影響はまだ明らかではないが、重要な役割を果たしていると考えられている。
9. ラマルクの用不用説
ダーウィン以前に進化論を提唱した博物学者ジャン・ラマルクは、動物が簡単な構造から複雑な構造へと進化すると考えた。彼の進化メカニズムは「用不用説」に基づき、よく使う器官は発達し、使わない器官は機能を失うとした。キリンの例では、高い枝の葉を食べるために首を伸ばした結果、長くなった首が子孫に遺伝し、長い首のキリンが誕生すると説明した。しかし、ドイツの動物学者ワイスマンは、獲得した形質は遺伝しないと主張し、実験でその例を示した。ラマルク派は反論したが、獲得形質が遺伝するかは未解決のままで、多くの議論が続いている。
10. 人為淘汰と自然淘汰
ダーウィンの進化論の核心である自然淘汰の概念は、ダーウィンがハトの品種改良を通じて発想したと考えられる。彼は多数のハトを飼育し、人為淘汰が変種を生む様子を観察した。この経験から自然淘汰によって進化が起こるとの論理を編み出した。しかし、人為淘汰と自然淘汰を同一視したことは批判を招き、品種改良では新しい種は生まれないと指摘された。例えば、チワワと柴犬は異なる姿を持つが、同じ「犬」という種であり、フナから作出された金魚も元々のフナに戻ることがある。
11. メンデルの遺伝の法則
進化の要因は遺伝と環境だが、ダーウィンの弱点は遺伝のメカニズムが不明であることだった。自然淘汰によって有利な形質が選択されても、交配による混ざり合いで形質が弱まるなら、ダーウィンの進化の考えは成り立たない。これを補うために提唱されたパンゲネシス仮説は誤りで、すでにメンデルによって遺伝の法則が発表されていた。メンデルはエンドウマメの研究を通じて、優性の法則、分離の法則、独立の法則を発見し、交配によって形質が薄まらないことを示した。しかし、彼の業績は当時認められなかった。